高野山は、弘仁七年、弘法大師が真言密教を修行し自らを深く見つめる修禅の地として嵯峨天皇から下賜されました。大師は自身の入定の場として山を開き、最初の正式な法会で『無限に広がる此の虚空が尽き、生きとし生けるものが尽き果てるとき、すべての衆生をことごとく救済し尽す、という私の願いは尽きることはありません』と誓われました。
以来、令和の現在に到る一千二百年余りにわたって、高野山は大師の志を受け継ぎ、天皇家を始め武将・豪族などの歴史を飾り、世界遺産の重要な一遺産である安土桃山時代の[秀吉朝鮮出兵敵味方戦没者碑]に見られるように、己が闘いで自らを支えくれた人々だけにとどまらず、不慮の死を遂げた相手の心を思い遣りました。この思いは市井の人々の心に響いて沁みわたりました。人々は自らの命を生み、育ててくれた父母・祖父母などへの感謝、追福の祈りを大師の誓願にすがり、心の安住地を高野山に求めました。